「本当のことを書くということ」の一節
どちらかが自分なんじゃなくて、その間に、わたしがいる。追求する自分と、そこからの逃避を夢見る自分の間に、張っている帆が、いまのわたしだ。
言葉にすることでひとつ自分の表現になる一方、いやなんかちょっと本当はもっと違うんだよな。けどいまさら訂正したところで、その訂正に対してもぴったりくる可能性は低くて。
SNS、仕事のチャット、人と話すなどの後に、失敗したかな、変に伝わったかな、言い直したほうがいいかな、言い直したり編集したりしたことでその変更の意図を変に捉えられたりしないかな。
発した言葉そのものよりも、それと自分の本来の身体的な感覚との違いの部分に自分がいるのかもなぁというもの。
言葉にすること自体の違和感とか、諦めてそういうことにしちゃうこととか、自分から見たときには言葉と自分の間にあるゆらぎがたしかに一番自分っぽいな。
めちゃくちゃ「間」を丁寧にみているんだろうな、とスッと入ってくる表現。
