関心領域をみてきた
https://happinet-phantom.com/thezoneofinterest/
公式からの情報や評判通りに、そこがアウシュビッツ強制収容所のすぐそばということを除いて、本当に極力収容所そのものの話はなく、ただただ普通の家庭の映像だった。
音響での演出がすごく、そこで違和感や異常さが浮き彫りになるというのはその通りだけれど、文脈の有り無しで捉え方が変わるというのを再認識したという感想だった。
最近読んだ本で「利他・ケア・傷の倫理学」があって、自分の言葉にできていない感覚を言語化されていて、少なくとも今年一番のとても大切な本になっている。
自分の記憶による要約なので内容的には少しあやしいけれど、人はそれぞれの劇を生きている、予期していなかったまったく別の劇が始まったように感じられるときに心がわからない、という表現をする、という意味合いの内容があった。
関心領域は今の私たちの感覚で見ると異常さを感じるが、これはまさに「心がわからない」ことを「異常さ」などの言葉に押し込めてしまっているのではないか。(異常さという言葉を使ったのはそもそも私なんですが)
それは「間違った行いだ」という正義がこの映画に関しては成り立つので「異常さ」のような一方的な言葉が使われやすいが、その劇に配役されていたのが自分だったら?を考えると、当事者として「異常さ」を感知できるのか?感知できたとしてどのように向き合っていくのか?
収容所の文脈がなければただの日常。
ただの日常である今の生活が、未来においてある文脈を持ってみられた時になにか意味を帯びるのか。
現在の世界情勢に対する警鐘としての映画と思うが、それに対しては個人的に反省することが多くそれはそれとして受け止めつつ、改めてわかったつもりにならないように気をつけようと思った。